今回は、最近学校でYUSEIの身に起こった出来事を題材にします。
彼が家で見たYoutube動画が原因で、今日学校で起こった話ですが、担任からの連絡を受けて学校で担任と交わした会話の内容に基づいたものです。
学校で下級生に「顔が指名手配犯に似ている」と言ってしまった!?
息子は、Youtube動画で、ある組織の犯罪に関するストーリーを閲覧してしまったようです。たまたま見たこの動画の中でみつけたとある指名手配者の顔が、よりによって通っている小学校の後輩くんに似ていたらしく、そのことをストレートに本人に言ってしまったのです。
「お前の顔、〇〇の殺人犯人の顔に似ているよ。」と。
さらに、そのあと続けて口から出た言葉が悪かった。
「だから、気をつけないと将来人を殺すかもしれないよ。」
トホホ。 汗ですよね。
なぜ、悪気なくそういう言葉を本人に向かって発することができたか。
学校の担任から「至急お話ししたいことがあります。」と連絡があったので、何事かと思ってあわてて駆けつけ、待っててくれた男性担任と2人だけで面談しました。
さっきの後輩くんと喧嘩ではないけれどちょっとした言い合いになって、それが少し騒ぎになったことから担任の目にふれて呼び出された息子は、起こったことを正直に伝えたそうです。
つまり、
たまたまみた動画に出てきたある犯罪者が学校の後輩の顔に似ていたこと。
そのことを本人に直接伝えたこと。
しかも、
似ているから、気をつけないと将来人殺しになるかもよといった趣旨のことまで言ってしまったこと、です。
「人を殺すかもしれないよ」という言葉を発したという告白を聞いて、彼の担任は愕然としたそうです。
そして、そういう言葉は決して他人に使ってはいけないことだということをこんこんと諭してくれたようです。
おそらくですが、この発言をした時の息子の心情としては、いじめ、嫌がらせ、何かの腹いせ、といったものはなかったのではないかなと想像しています。
逆に、悪いという感覚がほとんどない状態のまま、素直に感じたことを伝えたというのが事実だったと思います。おそらく、担任に指摘されてはじめて事の大きさを知ったというのが本音だったでしょう。
Youtube動画と発言の因果関係は?
私としては、息子が後輩くんにさっきのような言葉を伝えた理由に大変興味(不謹慎ですが!)を覚えました。
想像としては、過去に誰かが同じような内容のことを同級生や下級生に話している現場に居合わせたことがあるか、見たことがある。しかも、それは現実の世界(学校で)の話ではなく、アニメやスマホの動画で見聞きしたものではないかな、と。
担任は、今回の出来事はYoutubeの悪い影響を受けたことが原因という前提で私に話をしました。一方で、学校や担任が、Youtubeを子供に閲覧させるべきかどうかを親に対してとやかくいうつもりもないがと前置きした上で、後々似たような事例が起こって後悔することがないよう、今回のことを家庭でしっかり話し合い、対策してくださいと私に伝えました。
もちろん、どんなことを心の中で思ったとしても、それを実際に口に出して言おうとするときには、相手に対して言っていい言葉、内容なのかどうか。また、そもそも言う必要があるものなのかどうか、十分考えて行動しなくてはいけないということを、これまで同様伝えるつもりです。
情報の入手元と発言に至らせたソースは別ではないか
後輩くんが誰かに似ているという情報源となったのは、疑う余地なくYoutube動画で閲覧した内容だったと思いますが、「人を殺すかもしれないよ。」という発言をさせた、あるいはそのきっかけを作ったものはなんだったか。
このことがとても重要だと感じています。
それに、情報を与えた原因を作ったのはYoutubeだから、Youtubeの閲覧を全面禁止してしまうという対応は、親としては、臭いものに蓋をしてしまってひとまず安心なのかもしれないけれど、情報の海に囲まれた息子たちのような世代の子供達にとって、なんでもかんでも悪そうなのはシャットアウトするというのが最善策だという意見には少々疑問を感じます。
遠ざけようとすればするほど、隠れてするようになる?
SNSも、動画も、ゲームも全てネットで接続された環境が当たり前な現代の小学生をもつ親にとっては、この膨大な情報の海とバーチャルで簡単に見ず知らずの人間と繋がってしまう(しかも匿名で)ような状況とどう向き合うかはとても大事なことです。
臭いものには蓋で、全てあぶないものは子供の手から取り上げ、遠ざけますか。
ルールを決め、親の監視下でのみ遊ばせますか。
フィルタリングなどの一定の自衛措置を施した上で、子供自身に善悪を考えさせるようにしますか。
自分自身の胸に手を当てて考えてみたらわかることなんですが、子供のうちはダメだって言われたことを、したり考えたりしてしまいませんか(笑)
今日のことは、息子としっかりこれまで以上に会話をし、なぜそのような行動を取るに至ったかを知る機会であり、もし、あやまった考えによって行われた行為であったと思えるのなら、それをきちんと丁寧に説明し導くことに重要な意味があると思っています。
失敗を繰り返しながら子供は成長していくもんです。それは成長している証でもあります。
大切なことは、親がそれに対してむやみやたらに怒ったり、否定ばかりせずに、きちんと会話をしながら良い悪いを一緒に考えていくことだと思います。
あなたなら、どう思いますか?
(了)